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Google や Yahoo 航空路図や海図は もっぱらGNS84と呼ばれる世界測地系ですが 従来の日本測地系は 現在でも土地の管理などで使われ 標高も 東京湾の平均海面が基準で 現在でも 日本国内の公式な子午線は この場所を通っています 東経145度の赤い線は キツネの尾の先を通っています 古多糠 川北あたりを通って 中標津 #
by denseikan
| 2024-03-13 14:41
| Google Earth
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by denseikan
| 2024-03-09 17:44
| かたりべ談義
風防林地(格子状防風林)の軍事的な意味を考察してみました。 日露戦争当時の北海道の拓殖計画は 当然 強く露西亜を意識していました。 当時はまだ航空の揺籃期、ライト兄弟の初飛行が1903年、日露戦争は1904年で、飛行機とか航空機という単語さえ無く、日本では「飛行器」と呼ばれるカラス型の模型は存在しました。 ちなみに石川啄木の最期の詩「飛行機」が書かれたのは明治末年、1911年でした。 当時の機材では、成長した防風林なら目隠し効果があったと思われ、草地、農地を高速で移動できて、なおかつ敵からは見つかりにくいという効果が予想できます。 風雪が厳しい状況では、防風林の風下側を移動することで、暴風雪の中でも自己の位置を把握できる効果があります。 地理や地域の特性を知っていることを最大限に利用でき、味方には重要拠点を判別しやすく、敵にはわかりにくくする効果を期待したことでしょう。 この広大で平坦な地形の地域の最大の軍事施設と言うべきものは、平地に突出している1000m級の標高のある武佐岳であり、かつては頂上に観測班と通信隊が配置され、中腹の山砲部隊が頂上の部隊を守っていました。つまり 山砲の射撃の有効範囲は、山麓までがせいぜいであり、遠くの港や市街地を守るための部隊ではなかったのです。 やがて大正昭和の時代となると、航空を意識した防風林の配置が計画されました。 現在でも高空から見える防風林や記念植樹、鉄道林などの人工林には、それぞれに軍事的な意味があり、多くの場合、軍用滑走路への進入目標となり、滑走路を発見し易くする効果があります。 敵から見れば同じような碁盤の目に見えても、巧な人工林の配置により方向や経路を判別できるような工夫がされています。 例えば、市街地の零号基線に沿った防風林は、現在は国道272号に沿って、チナナ川の河畔林を利用していますが、上空から見ると、この防風林だけが独立しており、且つ幅が広くて識別しやすいのです。 原野の中央を通る基線の方向を北東に延長すると海峡を越えて国後島の爺爺岳、そして択捉島の散布山と北散布山の間を通るルートになるのです。 洋上を含むこの地域での航空航法(ナビゲーション)上の重要拠点としては、特徴的な山頂である国後の爺爺岳 そして択捉の散布、北散布岳であり、進入着陸の障害となる山岳地を避けて、多少の雲や霧の中でも飛行できるようにするための目標としての役割が大きいのです。 昭和になってからのリンドバーグの北太平洋航路調査飛行の際にも重要な役割を持っていたと推測できます。 明治末期に計画された基線道路の日本最長のものが標茶停車場(旧安田鉄道)を出発点として、根室原野の中央、今の中標津の中央基線道路(白樺並木道)を通り、標津の海岸までの直線零号大通りです。 実際的には河岸段丘など地形の問題があり、零号よりも南1号が、長い直線部分を持つ道路として整備されました。 確かに交差点や橋の曲線部分を除けば、非連続ですが日本一長い直線道路で、山並みの風景の変化と、大きな起伏が魅力の景観です。 千島方面から中標津の海軍飛行場に進入するには、知床半島と国後島の間の海峡を有効に利用して、内陸の滑走路を発見するための工夫がされています。 国後島北端のルルイ岬上空から、国後島の北側の海岸線を目視しつつ、右には知床山脈、そして標津の海岸線を通過して特徴的な鉄道林を目印として、右側に川北飛行場、そして遙か前方の当幌の柏の記念植樹(皇紀2600年)と鉄道標津線の接点を目標としながら進入すると、海軍標津第1飛行場の滑走路に進入できます。上空を通り過ぎて反対方向の滑走路に進入する場合には、右側に鉄道線路を観ながら滑走路に向かいます。その際に標津川の31線、旧馬鈴薯原種農場の隣(国道272と計根別方面への町道の分岐あたり)にあったサケマス孵化場の特徴的な植樹帯が絶好の目印になっていたはずです。 機首に巨大なエンジンを付けた戦闘機の場合、前方の視野が極端に狭いのが最大の難点であり、横や斜め前の地上物標をたよりに、前方の滑走路位置を推定して操縦するのが実態です。 最後に余談ですが、この進入コースだと、森林公園にある直径60mの中標津町マーク(町章迷路)の植樹が良く見えるのです。昔はこども達が迷路で遊んだのでしょうが、今はほとんど忘れられています。 旧滑走路の時代には、民間機での進入出発の際に、客室の窓から見えていたはずです。(写真) #
by denseikan
| 2024-03-09 14:13
| かたりべ談義
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by denseikan
| 2024-02-18 16:20
| かたりべ談義
開陽台から 歴史が見える 4題 その1 寛政十二年 1800年 伊能忠敬 その2 国後島 泊港と海峡 ゴローニン事件の現場 1811年 文化8年 「日本幽囚記」ゴローニン リコルド 司馬遼太郎「菜の花の沖 」の元ネタ 高田屋嘉平 ペリーも黒船で来航する前、ニューヨーク、ロンドンで入手し日本研究した その3 明治7年 ベンジャミン・S・ライマン地質学者が 標津からチライワタラへ 馬で調査 報文 北海道史 この地域の発展には気象観測と通信網の必要性を指摘 1920年<大正9>8月30日、フィラデルフィアで84歳で死去。 ライマンは終生独身で、菜食主義の実行者であり、日本をこよなく愛した外国人の1人 その4 1931年 昭和六年 北太平洋航空路 中標津上空 リンドバーグは 北太平洋航空路開拓のためニューヨークと東京を結ぶ最短距離 大圏航路を飛行してアラスカ 北千島 国後島を経由して根室に着水した その直前 中標津尋常小学校 根室支場上空を通過したのを目撃した証言がある歴史が見える
メモ 開陽台七不思議 など 日出の前に国後島に巨大な光の塔が見える
日の入りが1日で4回か5回も見える 330度の地平線は 全て町外 武佐岳の30度の陰に知床を隠している 上空の蒼い空に飛行機雲が無い 水平線近くの国際線航空路が見える ただし日の出前 巨大な火防線が眼下にあるのに気がつかない
四角い太陽は すでに充分におい有名なので 「ふしぎ」には入れていない 地平線を深掘り ただ地平線が丸く見えるだけでなく 地平線の上に空 そして宇宙 地平線の下には大地 そして地球 テーマソング Blow Blue Wind by chanters CD https://denseikan.exblog.jp/32833164/ 相馬妙見神社跡に何もない 開拓の痕跡 中標津原野の北端 23線23号 ハチミツの秘密 武佐川の源流 川沿いにスキーで走れば 下り坂ばかりで上武佐まで行けるかも 昔は馬橇で材木運び 上武佐に 材木集積所 土場があった標高差 250 mの展望台 から30mの上武佐 光のメッセージ 国後島からも見える丘 背景は山 ゴルバチェフ来日直前 その後ビザ無し交流へ 武佐岳の頂上からは エトロフを含めた四島が見えるが 展望台からチャチャ岳の手前の右側の山の陰に択捉島南端ベルタルべ山がかくれてる 水平線のように見えるが 双眼鏡で見ると国後のケラムイ岬と歯舞群島 そして根室半島で その向こうの太平洋はギリギリ見えていない 水平線と言えるのは知床岬とルルイ岬の間の海峡の向こう オホーツク海は水平線の向こう側だ 超望遠レンズなら わずかに水晶島と根室半島の向こうに太平洋が見えるかもしれない ドローン リモート登山 展望台から武佐岳頂上まで往復ドローン登山 ドローンなら 展望台の西側の地平線が近いので日没を何回でもくりかえせる #
by denseikan
| 2024-02-16 09:16
| かたりべ談義
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