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昭和4年に発行された写真帖の表紙と中の根室の東梅にあった牧場の写真がたいへんに類似していることに気がつきました。 素晴らしい洋風建築、牧柵も見えます。 この時代、根室原野においても、開拓した土地での稲作の可能性を追求していました。 それなのに表紙に酪農の理想郷とも思える絵を使い、農事試験場のページの直前に、この柳田牧場が載せられています。 牛は当時、エアーシャーという種類が多かったようで、乳量は少ないけれど、バターやチーズむいた濃い牛乳が採れる種類だったそうです。 写真もこの種類の牛のようです。 もしかすると絵の方はホルスタインのつもりなのかもしれません。 いずれにしても農業の未来を見通していた人物がこの写真帖を企画したに違いありません。 発展写真帖の前半20枚は写真ですが、後半の40ページは広告で埋め尽くされています。 それも個人の役人も名を連ねており、資金を提供した方たちと思われます。 釧路、根室を含む主要な組織、会社、個人がもれなく掲載されています。 それを発行したのが「大和田商店」という、町史などの記録には一切出てこない店なのです。 あやしい・・・。 当時、これだけの資金を調達できて、前書きも、あとがきも、ほとんで解説すらない写真帖を発行した人物は一体だれなのでしょうか。 「はは~ん」とお気づきの方もいらっしゃることでしょう。 例外的に、農事試験場についてはだけは、簡単な解説が書かれているのです。 名前の真ん中の「田」の字があやしい。 大和田 安の「大和」という日本を表す言葉をつかった苗字、「安」という、願いのこもった名・・・確証はないのですが、やはり、あやしい。 中標津という村も、もちろん町さえもない中標津原野の時代に、「中標津村」という宛名で往復はがきを出した重要人物を知っています。 通称「伝さん」、初代の場長です。 なにやら、含み笑いをしているように見えませんか。 いたずらっ子的な性格が滲み出ています。 写真から見ると、二階の場長室ではなく、職員と一緒に、一階の事務室で、仕事をしていたようです。 後ろの棚の上に、気象観測機器が見えます。 職員にとっては、このオヤジは、なかなか難しい上司だったことでしょう。 現在も、当時の椅子など、中標津市街の指物職人、宮東さんの仕事と思われるものが保存されています。 さしあたり当時の記録や著作の思い出話の中にでも、この写真帖のことが書かれていないかどうか、探してみたいと思っています。 この写真帖にはページもふられておらず、縦横も不定、定価さえ書かれていないことから、非公式に発行され、販売はされないで関係者のみに配布されたものと思われます。 ますます謎が深まる写真帖ですが、郷土館のご協力もあり、様々な事実が判明してきています。 印刷や製本技術など、専門家のご意見も伺いたいと思っています。 また、この柳田牧場については、次のような歴史が根室農業史の中に出てきます。 39年(1906) 和田村柳田牧場で最初のバター製造を始める。 40年(1907) 拓殖10ヶ年計画に基づき根釧原野の調査が行われ、翌年から入植が始まる。 43年(1910) 北海道庁根室試作場が別海町春別に設置される。その後、昭和2年に農事試験場根室支場(現在の道立根釧農業試験場)として中標津町に移る。肉牛価格大暴落。
by denseikan
| 2008-04-14 16:59
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