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紙芝居の記事について横浜の吉澤様から うれしいメールをいただきました
この際 そのまま掲載させていただきたいと思います 合わせて 関連の資料の画像の掲載してみます 4枚目の写真は 一見関係無い様に見えますが この中に 後に孵化場の場長さんの奥様になられた方も写っているらしいのです 『しばらく開けていなかった伝成館のページを開けたら 「おばあちゃんの紙しばい」という写真構成の読み物が ありました。 その2カット目、「わたしが3歳のときには、日本中で大きな お祭がありました。・・・・・・・・・・標津川のサケマスの孵化場では、子どもたちも いっしょにお祝いの飾りつけをして盛大なお祝いをしたそうです。」 その写真、~奉祝 御大典記念 標津鮭鱒人工孵化場~に 正直、驚きました。 御大典記念とありますから、撮影は、昭和3年(1928年)11月10日、 昭和天皇が京都御所の紫シン殿で即位礼を挙行した日です。 この日のことを覚えているのではありません。 この写真が撮影された、標津鮭鱒人工孵化場を、わたしは覚えています。 わたしの祖父、吉澤幸一郎(祖母・吉澤フヨ)が、この標津孵化場に、 昭和18年から昭和23年まで勤務していました。 (私は1939年生まれですから、わたしが4歳から9歳の時です。) 3歳下の弟が病弱で、母親と共に釧路の病院へ出かけて留守になる間、 私は祖父の家に預けられていました。幼児期は、ほとんどの時間、 この孵化場の祖父の家で過ごしました。 写真を説明します。 「奉祝のアーチ」の向こうにある平屋の建物が、孵化場事務棟で、 玄関にも国旗が出ています。玄関を入ってすぐに事務室があり、 事務室の奥に台所と土間作業場があり、孵化室へ行く裏口がありました。 玄関右側の窓がある部屋が祖父の暮す家になっていました。 右の壁にも窓があり、その下は、標津川の流れでした。 写真の奥が標津川上流、写真右下隅に、箱のようなものが一部見えています。 これは、川に浮かべる川舟の最後部で、対岸(の俣落地区)へ渡るためのもので、 使わない時には岸に置いてありました。 写真の左は、養魚池です。巾5メートル、長さ50メートルの養魚池が3本、並んで ありました。(写真では、見えませんが、敷地は広いのです。その池の左に 孵化場長の住宅がありました。) 写真の奥に写っているのが75坪の孵化室です。平屋ですが、建物の 左の上が谷間になっていて、湧水の川、ポンリウル川があり、そこから取水した 導水管が孵化室の裏に引かれていて孵化室の水槽を流れ下っていました。 養魚池に面した軒下は窓になっていて、そこで数人の女性が冬の間中、 「検卵」という作業をしていました。 春になって孵化した鮭の幼魚が池に放流されると、養魚池は板で覆われます。 その板の上で遊んでいて、すき間から池に落ちたことがありました。 この孵化場は、根室地方で一番古い孵化場です。 標津漁業組合が、明治25年(1892年)10月に孵化場を建設しました。 標津川の河口から50キロ上流の、標津村31線北4号です。 御大典奉祝の写真は、建設から36年後に、撮影されています。 しかし、ポンリウル川の水が少なくなったのと孵化施設の老朽化のため 昭和49年に廃止になりました。 北海道の鮭鱒人工孵化事業は、米作の出来なかった北海道の基幹産業で、 明治政府の北海道拓殖計画で行なわれた国策でした。ですから孵化場勤務者は 原野には珍しい「公務員」で、月給取りでした。高給でしたから、生活は決して貧しくは ありませんでした。写真でお分かりのように、あの時代に、洋服を着ている人がいます。 わたしの祖父も、職員でしたから、鮭を何匹捕獲した、何粒採卵した、何匹孵化した という報告書を書いて、本庁へ送っていました。(祖母が代筆していましたが) 昭和初期の写真が残っていたのも、根室原野の少数エリート?が山奥で 人知れず暮らしていた証拠のように思えます。 また、伝成館 様に、いいものを見せていただきました。 ありがとうございました。 平成20年2月26日』
by denseikan
| 2008-02-27 10:49
| 歴史資料
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