おばあちゃんの思い出ばなし
48分くらい mp3 馬追いさんの仕事の話など
昭和25年ころ 中標津村が中標津町に急激に発展したころの写真と思われます
戦争から戻り、馬追いさんの仕事を始めたころの巣守さんと同業のおじさん
場所は 現在の中標津の大通り 開陽イン(菅原旅館)の前あたり 後ろに見える写真館が後に旅館となりました。
この大通りは 戦前には殖民軌道が通る線路で 西別経由 厚床方面 北の開陽 西の計根別方面にも通じていました。 殖民軌道はトロッコ、馬トロ、馬鉄などとも呼ばれ、開拓時代の貴重な運搬手段で 馬で引くもの以外に ガソリンの小型機関車を使っていた時代もありました。
この写真のころには すでに国鉄の蒸気機関車が通り、その中標津駅の近くの製材所に いわば最後の巨木を、現在の役場の裏山あたりから切り出し、大橋を渡って運んできたところです。
このように まだブルトーザーの無い時代には 山から材木を切り出すのは 主に冬の仕事だったそうです。
いろいろな橇(そり)が工夫されていたようですが 写真の「バチバチ」が もっとも活躍したもので 安定もよく 長い材木でも運べる優れものだったそうです。
寒い地域ならではの利点で、斜面では滑らせて運んだりできる雪と氷がありがたかったわけです。
そのときに 沢を越えるときに造ったのが 「凍り橋」です。
川の河口付近の場合には 凍った水面に木や枝、枯れ草などを置いて水をかけて凍らせて橋のように使ったり、中流域では長い材木を何本の使って 贅沢に氷の橋をつくる場合もあったようですが、上流での冬山造材の場合には 傾斜した地形でもあり お金になる大切な材木を使うのではなく 山にいくらでもある枝や細い間伐材などを使って 水の流れを塞き止めないように沢に盛り上げ その上に針葉樹の枝や葉、ときには筵(むしろ)などをのせて 雪が落ちないようにして その上に 水を入れて雪をシャーベット状にしたものを ズックのバケツのようなもので何回も被せ 一晩おいて凍らせ 馬で通っても壊れないほどの強さにしたようです。
ハイブリッド、凍りと木質繊維の複合材とでもいえる優れた方式だと思います。
一年中使う町の橋とは異なり 冬の間 その山から材木を切り出すために造ったわけです。
2月の極寒の期間に 伝成館の裏庭で 実際に凍り橋を造ってみようと思っています
できれば 材木でつくる平地の 「氷橋」と 傾斜のある山の「凍り橋」の両方を試してみたいものです
memo)貨車に材木を積み込むときに、雪でスロープを造ったという話も伺いました
これを「サンドル」と呼んでいたそうで、これは馬の鞍の意味のサドル(saddle)がなまったもののようです。