「・・・ 私の赴任した昭和2年の夏には、ここは原野の中心的要衝ではあるが、鉄道根室本線の厚床からも、標茶からもそれぞれ十三里、わずかに厚床から中標津を経て標津に至る殖民軌道、それも六封度レールのトロッコがあったばかりである。 ・・・」
農事試験場の初代場長の書かれた「北海道農業の想い出」 120頁に出てくる 「六封度レール」と思われる線路を入手しました。 それもオリジナルの長さ、5.5mのままのものです。
今後 いろいろと調べてみたいと思います。 将来、この建物の中にでも、本物の線路と転車台が置かれ、立体地図の上を昭和初期の鉄道模型が走ることにでもなれば・・・素晴らしい。 壁には吉田初三郎の中標津鳥瞰図を貼りたいものです。
今回、このレールは、かつての軌道跡の近くで植物の苗木を育てる仕事をされている方が、伝成館で歴史的な調査研究に利用するならということで、快く提供していただきました。また、線路の運搬は製鉄関係の会社勤務の経験者が、専門的な知識を生かして軽トラックで見事に運んでみせてくれました。
実際に扱ってみて、軌道の線路は男二人で運べる長さ、重さにしてあること、それに現場で簡易な道具で曲線を出せること、運搬するには曲がっていると危険で不便であることなどがわかりました。 それにつけても、線路の断面形は、実によく考えられているものだと関心しました。