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隣の「落雪注意」の看板のある石の倉庫の向こうに見えるのは・・・SL用の転車台!!! 簡易軌道歴史館より 「函館本線狩太(現・ニセコ)駅から東進し、真狩別村(現・真狩村)に達する13kmの路線であった。起点は省線狩太駅前から150mほど西方の農業倉庫の前だったようだ。使用開始当初は馬力線だったが、澱粉やビートを中心に輸送量が多かったことから、根室線で余剰となったガソリン機関車2両と客車2両により動力化された。使用成績は、1943(昭和18)年で貨物3200トン・旅客1万9000人であり、この地域の主要な交通路として極めて重要な役割を果たしていた。」 なお、藻琴線にも根室線のガソリン機関車が流用されており、中標津原野の開発に伴い、北海道全体で再利用されていた実態がわかってきました。 10月2日にニセコで開かれた「倉庫邑」のイベントでヒコーキを飛ばしました その場所は、なんと殖民軌道の狩太停車場跡でした 奇しくも 蒸気機関車ニセコ号が実際に通過する中で、澱粉工場の取り壊しさずに遺して利用するためのイベントでした。 前日に現場を下見をするまで知らなかったのですが「・・・停車場線」という道路の表示で、もしやと思い調べたところ、例の昭和12年まで中標津原野を走っていた殖民軌道のガソリンカー2両と客車が移されて使われたのが、有島武朗の狩太共生農団でも知られる、ここ狩太線(後のニセコ)だったとは・・・ 昭和12年の冬、中標津駅から狩太駅まで、蒸気機関車が引く貨車に載せて、ガソリン機関車や小さな客車が運ばれたのだろうと想像してみると、なんだかほほえましい光景です。 現在、しゃれた店が並び、実は私にはなんとなく落ち着かないニセコの街の、はなやかにかぼちゃや花が飾り付けられた駅の奥に、こんな落ち着ける空気の空間が、かなりの規模で残されていたのがうれしくもあり、そんな場所で「ふしぎヒコーキ」がお役にたてて、ほんとうにうれしい限りです。 スタッフも北大の角先生も、泊まった比羅夫のペンションも、親しい方ばかりだったので、なんとかこの運動がいい方向に行けばいいなと願っています。 ちなみに、かつて伝成館もそうでした。「もったいない」と遺し、何に使おうかと夢を膨らませ、さまざまな困難にはばまれて、結局は欲を捨て、あきらめるべきものはあきらめ、やっと存在自体の意味を理解できるようになり、無理なく使う方法に気がつき、そして現在、登録有形文化財になっています。 駐車場いや中庭では、毎週日曜日の朝、ささやかな朝市が開かれています。 客足がひとだんらくすると、お互いの作物を出し合って、料理して食べるのが楽しみです。 古い建物の存在のおかげで、開拓の歴史に感謝しながら、子ども達といっしょに楽しめる場になりました。
by denseikan
| 2011-10-03 09:14
| 案内板と停留所
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