百年前のことを調べていたところ、「紅魁」(べにさきがけ)という林檎の名前が出てきた。
1911年、明治44年の8月から9月にかけて、東宮殿下(まもなく大正天皇となる)が、お元気に9回目の巡啓として北海道を一ヶ月にもわたって旅をされたことに関連している。
根室町では、ラッコの毛皮一枚を献納しており、標津村では、ご巡啓を記念して苗木を村民に配布している。 その林檎の樹は、日清戦争の戦役記念として明治27,8年に植えつけたもので、この「紅魁」という種類は明治4年に開拓使がアメリカから導入したものであり、これが標津村で見事に結実し、毎年200個ほどの実がなったということで、標津村が農耕に適していることを宣伝する意味合いがあったものと想像される。
残念ながら皇太子に献上したということは書かれてはいない。
まさにこの年 標津川沿いに この地方初の集団入植が開始されたのである。
百年前の雰囲気が伝わってくるような気がする。
紅魁とは