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なかしべつ百年物語
登録有形文化財となった「伝成館」について考える 昭和の始め、原始そのままであった根室原野の中央にあたる丘を、開拓予定地域の中間的な標高である五十米に造成して北海道農事試験場根室支場が建てられました。 殖民地区画の中央基線道路は白樺の並木に、そして後に根釧台地全体に広がる格子状防風林のカラマツも国後島の爺爺岳の頂上を目印として正確な方位で百間(約百八十米)の幅の風防林地に植えられました。 根釧農試の旧庁舎本館は、その七年前に新築によりその役割を終えましたが、住民の強い意志が認められて取壊しを免れ、現在はNPO法人が管理を委託されて「伝成館」となり、まちづくりの足場となるべく補修され、極めて有効に活用されています。 八十年以上経たコンクリートも充分な強度を維持し、何回もの大地震にも耐え、戦火も受けずに今日に至りました。 建物のみならず周囲には白樺の並木のほか、当時植えられた桜やカエデ、栗などの大木が季節ごとに花を咲かせ、豊かに実を結んでいます。周囲の土塁にもオオウバユリやエンレイソウなどが育っています。 伝成館には、多くの先達が集い、情熱を持って語り、貴重な開拓時代の実体験を深め、受け止める場となっています。 文章、写真や映像そしてなによりも人として伝えるのがNPOとしての根幹の事業だと考えています。 現在、道東地域の中核的な市街地として発展している中標津の街は、まさに昭和の初期に、農事試験場の設置をきっかけに目覚しく発展しました。 当時の様子を初代支場長 松野傳氏は次のように記録しています。 『私の赴任した昭和二年の夏には、ここは原野の要衝ではあるが、鉄道根室本線の厚床からも、標茶からもそれぞれ十三里、僅かに厚床から中標津を経て標津に至る殖民軌道、それも六フィート・レールのトロッコがあったばかりである。 戸数わずかに二十八戸、・・・役場には五里・・・拓殖医は不在、駐在巡査は小川老人・・・市街といっても美馬、関谷、境氏などの雑貨屋があり・・・全く数えるばかりの寒村だったのである。 そこに根室支場が忽然と出現し、爾来すべての開発の中心として会議が開かれ・・・市街地はだんだん大きくなってきた。 中村屋の旅館、川口薬局、中尾呉服店、藤田料理屋等々・・・初めもちろんランプであったのが三年後には火力発電所ができた・・・そして私が原野を去る昭和十二年には、はや二百戸に膨張したのである。』 その後、昭和六、七年と続いた冷害凶作などの困難な時期を乗り越え、酪農を中心とした農業地帯として歩みを続けることになりました。 馬で引くトロッコの殖民軌道が鉄道となり、そして航空路で東京、札幌とも結ばれるまでにました。 現在、大規模な酪農地帯を見ても、かつての冷害凶作を想像することすら忘れがちです。この建物は、この町の最も貴重な経験を思い起こさせてくれる唯一ともいえるものだと思われます。 今年、念願が叶い伝成館は関連の建築物とともに文化財として認められました。そして来年は中標津の地域に百年前に初めて共同居小屋が建てられた年にあたります。 これからの百年を考えるとき、これまでの百年の歩みに思いを巡らし、誤りのない方向を見定めることこそが重要であり、そのために古い建物がまだまだ役に立つ場面があると確信しています。
by denseikan
| 2009-12-16 12:22
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